持続可能な町づくりへ、生物多様性の保全へ。SDGsの最先端をゆく南三陸町の挑戦 (前編)

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世界初! FSC®認証(山林)とASC認証(海)の国際認証をダブル取得

宮城県・南三陸町。そこは、ひとつの町が山と海の国際的な環境認証(FSC®認証※1、ASC認証※2)を取得した世界で初めての町です。

これらは自然環境に関する厳しい国際基準を満たすだけでなく、そこで働く労働者の人権や地域住民との誠実な関係も求められる極めて厳格な認証です。さらに2018年には志津川湾がラムサール条約※3に登録されるなど、南三陸町は持続可能な町づくりのモデルとも言えます。東日本大震災という未曽有の災害を乗り越え、そこから世界でも稀にみる町づくりにどうやって邁進していったのでしょうか。

いま、またはこれから、自然環境や社会課題の解決に取り組もうとされている方にとって、SDGs達成のひとつのモデルになると考え、南三陸町をご紹介させていただきます。

この南三陸町の取り組みについて、10年以上にわたって林業の立場から町の再生と進化に情熱を注いできた(株)佐久(さきゅう)の専務取締役であり南三陸森林管理協議会の事務局長である佐藤太一さんにお話を伺いました。

株式会社佐久 専務取締役

佐藤 太一さん プロフィール

南三陸町でおよそ270haの森林を管理、主に南三陸杉、赤松、檜を生産する(株)佐久※4に入社。現在(株)佐久の専務取締役の他、南三陸森林管理協議会※5・事務局長、一般社団法人南三町陸観光協会・副会長、合同会社MMR・代表社員、南三陸いのちめぐるまち学会・学会長、(株)みちのく伊達政宗歴史館・代表取締役社長ほか、南三陸町内外で多岐にわたる活動に参加。(株)佐久に入社以前は山形大学大学院で宇宙線物理学を研究、理学博士号取得。

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※1 FSC®認証(Forest Stewardship Council)は、持続的な資源活用を目的に責任ある森林管理を認証する国際的な環境認証制度。森林そのものの適切な管理を認証する「FM認証」(Forest Management)と、認証された森林原材料が適切に加工・流通されているかを認証する「CoC認証」(Chain of Custody)がある。

※2 ASC認証(Aquaculture Stewardship Council)は、持続可能で環境に配慮した養殖で得られた水産物を対象とする国際認証制度。 養殖業者を認証する「ASC養殖場認証」と認証された水産物が、適切に加工・流通されているかを認証する「CoC認証」がある。

※3 ラムサール条約(正式名称「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」):国際的に重要な湿地、および、そこに生息・生育する動植物の保全と、湿地の適正な利用を進めることを目的として1971年に採択された。日本では53の条約湿地がある。(2021年11月18日現在)

※4 (株)佐久 南三陸町でおよそ300年の歴史を持ち、林業経営を中心に不動産業を営む。主に南三陸町及び旧北上町に所有・管理する約270haの山林で 林業経営や山林の活用した事業を展開。

※5 南三陸森林管理協議会 地域の山が一緒になってFSCなどの国際認証を取得してこそ南三陸の林業と自然に還元できるとし、南三陸町の林業関係者により震災後に設立。

南三陸町の持続可能な町づくりに情熱を傾ける(株)佐久の佐藤さん。

南三陸町の持続可能な町づくりに情熱を傾ける(株)佐久の佐藤さん。

**山は未来に残せる自然資本

12代続く林業がひっぱる持続可能な町づくり**

UPDATER

まずは佐藤さんが専務を務める(株)佐久さんについて伺いたいと思います。宮城で代々続く歴史ある林業家だそうですね。

佐藤

(株)佐久は私の家業になります。佐藤家は林業家として、およそ300年の歴史がありまして私は12代目にあたります。現在は南三陸杉を中心に木材生産をおこなっています。東日本大震災以前は林業だけでなく不動産業も営んでいて財産や収入の多くが不動産だったんですが、震災でほとんどの不動産を失い事業を再考せざるを得なくなりました。

UPDATER

確かに南三陸町の被害は甚大でしたね…。

佐藤

南三陸町は地理的にリアス式海岸の地域です。過去の地震や津波のたびに大きな被害を受けてきたのですが、東日本大震災を経ても町の77%を占める山や森はほぼ無傷で残った。そうして本格的に林業に軸足を置くことになったわけです。

UPDATER

震災で(株)佐久さんも新たなスタートになったのですね。ではまず会社の理念などをお聞かせいただけますか。

佐藤

(株)佐久の理念のひとつは、「社会・経済・環境、三方よしの林業」をめざすということ。それから「山をまるごと資源」と捉え、その価値を発揮させ経済価値に変えていくことを目標にしています。

さらに、佐藤家が代々守ってきた理念もあります。その地に合った木を育てる「適地適木」を徹底すること。そして森林の下層植生にも目を向け「良い森林土壌を育くむ」こと。そんな丁寧な森林管理を昔から続けてきました。

伊達政宗の時代から良質な杉の産地として知られる南三陸。

伊達政宗の時代から良質な杉の産地として知られる南三陸。

UPDATER

なるほど、いまも昔も山を大切にしてきたことが伝わってきます。ところで佐藤さんは家業を継がれる前は、大学で林業とはまったく畑違いの分野を研究されていたそうですね。

佐藤

山形大学大学院で宇宙線物理学を研究していました。そのまま研究者になるつもりでしたが、震災の翌日ぐらいに父親とやっと電話が繋がって、「家業の再建や町の復興を手伝ってほしい」と言われました。

以前から家業を継げとは言われていたんですけど、研究の道を諦めたくはなかった。ただ、父親1人ではどうしようもないというのもわかっていたので、いままで自由にさせてもらった分、戻るべきだと。それに、その方がみんなHappyになるよなと思い決心したんです。

UPDATER

ご自身のことではなく「みんながHappyになる」かどうか。まさにリーダーの発想ですね!その使命感というのは(株)佐久さんがこの地で数百年続く家系だというのもあるんでしょうね。

佐藤

この地で先祖代々続いてきた家なのでしっかりしないといけない。それはもう小さい頃から刷り込まれてきました。

UPDATER

震災から10年以上が経って町の復興も進んだと思いますが、南三陸という地域は過去の記録を見ても地震や津波というリスクをどうしても避けることができませんよね。事業を展開するうえで、そのリスクを佐藤さんはどう捉えていますか。

佐藤

うちだけでなくこの地で古くからも事業を営んできた家には、災害から財産を守る意識が受け継がれていると思います。 たとえば、ひとまとまりで大きい山を持つんじゃなく、分散して持ちます。なぜなら昔は野焼きとかもしていたので山火事が結構多かったそうです。分散しておけば、山火事にあっても所有する山林のすべてを失うことはありません。今はそれが弊害でもありますが、昔はそれはむしろ良いことだった。 蔵についてもいろんなタイプの蔵を家の敷地内のいろんな場所に造って、どれかが失われてもいくつかの蔵が残ることで、家業を再建できるようにしていますね。

UPDATER

過去の災害から学んだリスクヘッジですね。

佐藤

そうですね。自然相手にしても事業におけるリスクにしても物理をやっていた自分にとっては理解できるんです。確率的に起こるものは起こり得る。そこをしっかり想定しておくことが大切です。

TNFD※6でもそこはポイントですよね。企業活動における自然関連リスクについて報告・対応するための枠組みですが、TNFDのような考え方は常に持っていたいと思っています。そういう意味でも南三陸町のいちばん高いリスクである津波に対しても、山というのは残り続けるんだというのがわかった。そこを活かしていくのが我々の責務だし使命なんじゃないか。そしてしっかりとした林業を通じて、持続可能な町づくりにも活かしていこうと思っています。

※6 TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース/Taskforce on Nature-related Financial Disclosures)とは、企業・団体が自身の経済活動による自然環境、生物多様性への影響を評価し、リスクや機会についての情報開示を行う取組み。投融資資金を含め自然を保全・回復する方向へ資金の流れを導き経済的にもプラスに働くことを目的とする。

UPDATER

比較的被害の少なかった林業が南三陸町復興の牽引役にならなくてはということでしょうか。

佐藤

山林が「未来に残せる町の財産」だということを、私を含めて南三陸の林業の仲間たちは改めて教えられたんです。 では、どういうふうに未来につなげていくか。震災からの復興に際しては1次産業が主体の地域なので、持続可能な町づくりをめざすというのは間違いないんですが、林業がまずはその旗印として頑張らなくてはいけないと思いました。

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赤みを帯び、目の詰まった強さが特長の南三陸杉。

赤みを帯び、目の詰まった強さが特長の南三陸杉。